群馬県が主催する介護される家族を支援する方たちをを対象とした家族支援講座
この講座の1単元をいただき講座の単元を受け持つようになって、もう3年くらいたつのでしょうか。私の前単元は、認知症の人と家族の会の田部井さんと介護家族の方がお話をされます。その内容を受けての形で講座が進むわけですが、毎年少しずつ内容を変更しながら、介護をされるご家族の傍にいる私たちがどのように一緒に過ごすべきかについて、受講された人たちと考えています。
「何かあったら、相談してください。」
「何かって何を相談すればいいのだろうか。」
「これから先、どのようなことが起こるのだろうか。」
「お金はいくらかかるのだろうか。」
「夜中に助けてほしい時は、どうすればいいのだろうか。」
「私の体は誰が守ってくれるのだろうか。」
「介護」という造語が生まれて、どのくらいの時間がたったのでしょう。
近年では、介護家庭の中で起こる事件が報道されることが増えた印象があります。
過去には、NHKで介護殺人を犯してしまった当事者への取材をした番組も放送され、番組も見た私も衝撃を受けた内容でもありました。
番組内で実母を殺してしまった息子さんが収監先での取材に対して
取材者「どうして、介護を担わなければならなかったのか?」
当事者「家族だからです。」
という場面がありました。
「家族」という最小単位の社会において、本来であれば安寧を感じると思われる「家族」が互いに苦しみ、楽にしてあげられるのは私しかいないという追い詰められた状況にしてしまったのかは、単に1つの「介護」ということだけではないかもしれませんが、取材者の「どうして、介護を担わなければならなかったのか。」という問いは、とても重苦しく、悩ましい言葉にも感じました。
自分のことであれば、家族に負担をかけないようにと考え、家族のことであれば、何とかしてあげたいと思う、異なる気持ちが複雑に入り乱れて人に言えない苦しみ、悩みとなっていくようにも感じます。
「介護」を業として行う人たちは、こうした「家族だから」という言葉の背景にある気持ちや思いにも触れていくことが求められていくのかもしれません。
研修でもお伝えをしたのですが、次年度の介護報酬改定でも「自立支援」というキーワードが登場していますが、例えば、デイサービスで働くスタッフは、デイサービス利用中にご利用者やご家族が、安心し穏やかに過ごせることをサポートの目的とするのではなく、デイサービスを利用しない日、時間がいかに安心して穏やかに過ごせることを目的にしたサポートの提供ができるかがデイサービス本来の目的だと考えてほしいと伝えています。
私たちは、「人口減少社会」「超高齢社会」「少子化」「格差社会」と言われるような人類が経験をしたことのないような変化の時代を生きているわけです。暮らしの在り様とともに「介護者を支える」ということも変化していかなければならないと思います。
※引用:NHKスペシャル 2016年7月3日 私は家族を殺した 介護殺人 当事者たちの告白の一部